PC直った

そもそも不調だったの?という話ですが、実際不調だったのです。しかもあるまじき事に、バックアップを一切取っていなかった。それはもう自分を責め、からっぽな気持ちでしたが、この度なんとか復旧できそうな感じです。

具体的にいうと、Cドライブの起動ディスクがWindowsアップデートによって不具合に次ぐ不具合に見舞われてしまい、最終的にはOSの起動が出来なくなってしまったのです。なので一度Cドライブの中身を全部消して、完全に新規に、いわゆるクリーンインストールをする事によって、なんとか使えるようになったという次第です。

幸い、Dドライブ…作品の画像ファイルや編集データなど諸々のデータは物理的に別のハードディスクに保存していた為、これらはサルベージ出来そうな感じです。そこだけ本当に、全部なくなったらどうしようと思っていたので、なんとかなりそうでよかったです。

問題はアプリケーションです。またインストールしたり設定し直すのか…と思うと面倒でしょうがない。まぁしょうがないか…

気を取り直していきたいですね。

最近なんとなく、暗く 寂しく 悲しい気分でいる。何をやっても楽しくないというか、どんな楽しい時間を過ごしたとしても、必ずどこかに虚無感があって、最後にはそいつだけ残る。酒なんてすっかり楽しく飲めなくなってしまった。疲れるだけである。

といっても、何かあったわけではないし、というか何もなさすぎてこうなってるのかもしれないが、落ち込んでる訳ではないし、むしろ居心地の良さを感じている。

仮説だけど、思い当たる理由はある。ひとつは実に単純で、この気分が僕のデフォルトの状態であるのだろうという事。もうひとつは、これは本当に無闇だが、一種の男性性なのではないかというもの。

前者は特に付け加える必要もないので割愛する。

後者について。まず翻って女性だったらどうするかを考えると、「回復」…つまり明るく前向きな自分を目指す、取り戻す、あるいは目指すべきだと考える向きが強いんじゃないかと思う。

単純な話、女性は構造的に「母親」としての機能を持っているという前提がある為(厳密に言えば子を成せるか成せないかの身体的な機能には今日でも差があるだろうが、人間とその紡いできた歴史の遺伝子に刻まれているはずの精神構造に於いては、前述した前提が想定されているだろうと仮定する)、社会、いわゆる属するコミュニティに依拠する部分が大きい。はじかれたら生きていけない意識が強くなる土壌で育つだろうという事であり、それでいうと概ねの男性の社会人も似たような意識は持っているはず。つまり、暗い気分になったりした時は、早めの再適応、「社会復帰」を必要とされて然るべきであって、実際損こそすれ得のある状態ではない訳だから、合理的でもある。

じゃあ男性はどうかというと、先程ちょっぴり触れたが、普通に真っ当に社会人として生きてる分には、男女の境なく前向きな方が良いに決まっている。ただまぁ女性よりは緩いというか気楽な部分もある。生態的に、男性というのは産めない、器になり得ない、やる事といえば種を蒔く様な事であって、それも皆自前の種を持っているので、役割についてはぶっちゃけいくらでも代替が利く。比較的一人で野垂れ死んでも放っといてもらいやすい。

で、そういう気楽さもあってなのか、男性は意外とそういう気分に「回帰」する事を望む嗜好を持ってる気がする。例えば「ハードボイルド」というジャンルにはその煮こごりが点在していそうだし、女性作家が暗い話を書くと割と「”回復”したい心理を前提としたグチっぽくなる」ようなイメージに対して、男性作家は暗い話に自己陶酔したり美学を掲げたりしたがる傾向がある、様に思う。ある種の気楽さのせいで、男性は努めて明るく前向きになる事に対してどこか「最悪払わなくて良いコストなのでは?」みたいな意識が、ほんの薄っすらどこかにあったりするとしても全く筋の通らない話ではないのかな、と思ったりするのであるが。

…といういつもの稚拙な仮説であるけれど。とにかくそんな気分なのですね。きっとこの安寧にしろ寂寥にしろ、自販機で買えそうなくらい安いものであろうから諦めもつくんだけど。虚無感の始末に困りそう。これは多分、蓄積する毒なんじゃないかと見ています。放出も昇華も厳密には出来ず、こいつにやられちゃう前に見えない所に追いやるとか、多分そういう対処になるのでしょう。面倒な話だ。

映画「この世界の片隅に」見た

「この世界の片隅に」の映画を見た。ツイッターで感想を述べようと思ったが、長くなっちゃったのでブログに。

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なるたる読んだ

興味はあったものの読んだ事なかったのだが、電子書籍で一巻が無料だったので手を出してしまった。そのまま最後まで一気に読んでしまった。

僕の読解力の低さでは取り零しも多々あり、解説サイトなど巡って補足を得て、ようやくなんとか「一旦読めた」と言えるか怪しい程度には読めた。

壮絶というかなんというか…逆にどストレートに主張を込めて描かれた、とも言えるかもしれない。非常に複雑だったり難解だったりな構造をしてるけど、「読み手に委ねる」思惑は多分ほとんどないと思われる。

数式の様に、適切に読み解けば必ず同じ解に辿り着く様に、少なくとも作者の鬼頭莫宏先生は「描いたつもり」なのだろうと思う。でも多分大多数の人は、大変な苦労をかけてなんとか読み解き、しかも解説してくれている先駆者様方の力を借りる事になると思う。無学な僕も当然その内にいる。要するに、一般的に親切な作りとは言えない。

なのでいつも通り…というかいつも以上に、乱暴に感想だけしたためておきたいんだけど、どんな感想を抱くかすらも作者に掌握されてそうな感じもあるので、何を言えたものか…まぁいいか。

 

 

(*以下ネタバレを含む)

 

結局、巻末の作者コメントにも書かれている様に、命というのは代替しうるものであって、誰かが誰かである必然性などというものは妄想に過ぎず、だからこそ必死に縋っとけ、というのを体現してくれる話の様なのだが。

どっかの小学校では、生徒に豚を飼育させ…名前を付けさせて可愛がらせて、最終的には屠殺して食わせる、という事をしているらしい。(たしか映画化したんじゃなかったかしら)

子供達にとっては特別な個体だったはずで、「豚さん」じゃなくて、付けた名前で呼んだりしたはずであろうから、泣いたり吐いたりしながら食うんだろうけど。翻ってスーパーや精肉店に並ぶ豚肉は、バラかミンチかその位の差異はあるにせよ、どれを取ったって、食材としての豚肉以上のものにはなり得ない。

命の価値とは何なのか、どこに見出してるのか、その正体は、対象の個体にまつわる「記憶」とか「思い入れ」とかそんなんなのだという訳である。肉親、友人、想い人。外国でテロがあって何人死にました、というニュースを聞いて、突然の肉親の死の報せを聞いた時と同じレベルで狼狽したり錯乱したりする事はまずあり得ない。

なるたるは最終話までのエピソードを通して、主人公がどういう力を持っていてどんな使命を負っているのかとか、世界観の説明を済ませたり、主人公達がどの様にして相互に感情移入するかを描いていく。そうして、読者もろとも主人公に、前述の様な命へのしがらみを色々な人々に対して纏わせ、すがらせる。そして最終話で、そのしがらみが一切合切無くなったとしたらどうするか、というのが描かれている。それが主題になる。

シミの付いたシャツを買い換えない理由は何か?そのシミの付いたシャツを捨てておいたら、新たに買わざるを得ないはずではないのか?そんな感じである。この稚拙な比喩を引き摺るなら、物語は、お気に入りが見つかるまで新品のシャツを買い換えよう、という顛末で終えられる。

(要領を得ない文章を書いといてさらに厚かましい事を申し上げると、)なんとなく感じていただけたかもしれないが、まぁその、凄絶な展開が続く漫画ではあるのだけれど。思うに、鬼頭莫宏先生は、かといって別に人間が嫌いとか、みんな死にやがれとか、いやそれはもしかしたらあるかもしれないけど、絶望してるとか抹消するべきだとか思ってる訳ではないのかな、と思う。

何故なら、「お気に入り」の概念を否定する様な描写は、作中、多分ほぼ無かったからだ。自分あるいは他者の生命に纏わる記憶や感情といったある種のしがらみを抱く事に対して、概ね肯定的というか、むしろ奨励している節すらある。(ていうか、色んなキャラ同士のそれが衝突するせいで、悲惨な展開になったりする。)

多分そういう、こだわりの様なものが、わざわざ人格を持って生きる理由になる、という事なのかもしれない 。

非常に不思議な感じだが、この決して清らかではない、ともすればおぞましい凄絶な物語を、煮詰めて焦がしてまだ焼いて、最後の最後に残るのは、生命というよりも、人間への賛美なのかも、と推測したい。でも、愛とも期待ともちょっと違う。あえていうなら「固執」が近いのではないか。

ドギツいが、消費されるだけの漫画ではないと思う。美味しい駄菓子にはなり得ないだろうが、拾ったカラスの羽を宝物と称して小箱にしまう様な、仄暗く不潔で後ろめたいがなにか甘美な満足感を得る、そういう何かが拾える可能性を持つ漫画だと思う。

以下は完全に余談である。

かつてネットで取り上げられて騒がれた様な残酷な描写や展開というのは、確かに存在はするが、手段や過程であって目的ではないのだろうと思う。何故ならあまりに淡々としているから。

惨い瞬間のシーン(例えば頭が引きちぎられたり銃火器でミンチにされたり)はむしろ引きの画が多い。アメリカのバイオレンスホラー映画やゲーム(ファイナルデッドコースター?だとかモータルコンバットなど)などからすれば、そこが娯楽的要素になるのだから、思い切り描写したりする、そういう造りはしていない…と言えるはず。

多少なり趣味が入っている可能性を否定しきるではないが、本質ではなかろうと。とはいえもちろん、読者を選ぶに十分過ぎるレベルの過激なシーンを多々含むけど。