「午前一時に」がよかった話

創作をしていたり考え事をしていたりすると、ふと、たまらなく寂しい気持ちになる時があります。強い孤独を感じ、或いは心細さを感じたりするのです。それは何故でしょう?それは単純に、基本的には一人でしか出来ないからだと思っています。

例えば知人や友人に、アイデアや設定、あるいはこんな事で苦悩しているんだ、なんて話したとしても、話を作り絵を描くのは自分です。多くのプロの作家の方々がするように、描画の工程で共同作業をする事はもちろん現実的に可能でしょう。しかし、創作の創作たる部分に於いては、どうしても本人にしか込められないものがあります。

とはいえ、文章で明確に、実際に存在する概念や現象をもって説明できる事で無ければ、つまり「デジタル」な話以外は敬遠されがち…というか、なかなか歩み寄ってもらえない現代(紀元前から続いてそうではありますが)で、こういうふわっとした、「本人しか込められない云々」などという浮ついた事を言っても、ピンと来ない人の方が多いだろうな、とも思うのですが。

例えばなんらかの名曲があって、原曲とカバー曲とだとやっぱり全然聞き応えが違うな、と思われた事が、きっと誰にでもあるんじゃないかと思います。音が違う、声が違う、というのは当然そうでしょうが、そもそも原作者がその曲を作ったのには、なんらかの経緯、辛い経験を踏まえてとか、誰かを想って贈る手紙の様に書いたとか、そういった思考の過程、感性の活動があって、それ故に詞を書けたし、曲が浮かんだし、声を上げて歌う理由になったはずだと思うのです。感情も大いに乗るでしょう。これは線を引いたり、道を作るのに似ています。

カバー曲を歌う人は、線をなぞったり道を歩く事は出来ますが、それ以上の事は出来ません…厳密には「こういう方向性もあるだろう」と線を引き道を作る事は出来るでしょうが、それはまた全く違うものを産んでいるのであり、同じものはやはり作れないはずだろう、という風に僕は考えているのです。

そういう訳で、自分でしか出来ない事なので自分だけでやる、という話になります。考え事であれば歩き回るだけで良いのですが、創作というのはむしろ海を渡るのに似ているのかもしれません。船を設計し、実際材料を集めて作り、完成して初めて船を出し、うまく航行してくれたり、あるいは志半ばに沈んだりします。船を作る作業を創作とも言えますが、読んでくれる「誰か」の心の海に船を出すのもまた創作の内と言えましょう。そういう意味では僕の作った船は沈んでばかりかもしれません。

そんな具合に日々うーんなんて唸ってたりするのですが、休日になんとなく詩が読んでみたくなり(『文章を書くのが理性であるならば、理性の終着点はむしろ詩なのではないか?』という訳の分からない着地をした妄想のせい)、スマホのアプリをダウンロードして青空文庫で探してみて、適当に行き着いた作品が、“ボードレール”の“午前一時に”というものでした。

外出していたある文士が帰宅するなり扉に施錠し、一人きりの安堵を胸に、その日の煩わしい出来事—同業者とのやりとりや挨拶回りなど(多分)—を振り返る、という感じの内容でした。

その詩の節々にえらく心を打たれまして。
以下、一部引用致します。

ボードレール「午前一時に」より

「俺はしたこともない汚行を自慢して話した(なぜなんだらう?)。それでゐて、喜んでやつたほかのわるさは卑怯にも否定してしまつた。見え坊から出た咎だ、世間への気兼ねから出た罪だ。」

(中略)

「何人にも満足のできない、自分にも満足のできない俺は、夜の静寂と孤独の中ですつかり自分のからだになつて少しいゝ気になりたいのだ。

俺の愛した奴らの魂よ、俺の歌つたやつらの魂よ、俺を強くしてくれ、俺を支へてくれ、いつはりと此の世の瘴気とを俺から遠ざけてくれ。それから、あなたは、あゝ主なる神様! 私が一ばん劣等な人間でないことを、自分の軽蔑した人たちにも劣つたものでないことを私自身に證(あかし)するために、数篇のよき詩を書くことを許させたまへ。」

引用した部分の前半についてですが、これは文章では後半の方で、作者はここに至るまで散々、その日に受けたつまらない想いをぶち撒け、あらゆる事象に毒づきまくっています。皮肉に皮肉を重ねてここに至るのですが、我が身を省みる番になると、実に赤裸々に客観的に自身の恥部について吐露します。「卑怯にも」「身から出た咎」と、それを何かのせいにはしないのです。

そして後半、正にこの記事の前半に述べた様な、創作や思考に伴う孤独を、彼は苦悩と快楽の間の危うい葛藤の中で謳歌しています。誰に話してもいいとこ共感以上のものは得られない、けれどどんなに囚われた所で、明確な解答が存在する訳でもない。誰かへの軽蔑が自分の逃げ道を塞ぎ、それでも詩を書く事でなんとかアイデンティティを保とうとする。歴史に残っている高名な作者の名著にこんな事を言っては誰に怒られても仕方がありませんが、どうしても共感してしまう様な心地です。

やはり創作は、海に出る事に似ている様に改めて思います。そしてまた、きっとそれは夜の暗い海なのだとも思います。もちろん楽しくはありますが、明るく見通しの立つ思いはただの一回もした事がありません。誰も、自分自身でさえも、なんの保証も出来ないし、行き着く先も約束できない。そういうものではないかと感じています。

けれども、ボードレールの詩を読んで気付いたのは、きっと灯台に灯を灯すのもまた自分なのだという事です。恥部を認め我が身の丈を知り、暗くて見えなくても、どこを向き進むかだけは決め、見えない先をひたすら見つめる。握りつぶされる事はないが何かにぶつかれば割れてしまう、氷塊の様な強かさだと思います。

僕は今まで心のどこかで、きっと誰かが灯台に光を灯してくれる、くれている、と思っていたのかもしれません。だから、何かを、きっかけを待ったり、頑張る言い訳を探していたり、あるいは叱咤される事を期待していました。多分、それも全部自分でやる事が本来だし当然なのでしょう。

溺れ死ぬ方がマシ、という人生もあるのでしょう。せめて溺れたいものです。

短編キャラデザイン案

短編の主役キャラデザイン案。
1話完結を考えていて、話によって主役が変わる予定だけど、にしても看板というか、基本的にはこのキャラが主人公だよ、というのがいた方がいいかなと思ったので。
頑張って練った方がいいかなと思いつつ。

でも難しい。あまり派手な話ではないので、やりすぎるとものすげー浮いちゃうだろうけど、といってあまり凝らなすぎると何にも引っかからない、みたいになっちゃいそうなので。
何事もバランスとるのが一番難しいもんですね。配色もまだ全然悩んでたり。多分カラーだから考えなきゃ。

まぁこう、なんとなく、適当に詰めていきたいです。

写真の話

”Flickr” というWebフォトアルバムサービスというか、
ともあれそこに写真をアップロードしました。
https://www.flickr.com/photos/96453183@N03/sets/72157688758504070/

カメラを買ってから撮影はしても公開はしてなかったのですが
思ったよりも枚数があったので、なんとなく面白そげなやつを選んで
上げてみることにした次第です。
せっかくあるんだし。的な軽い動機ですが、公開する機会があった方が、全くないより楽しいかな、ていう。

ただFlickrで色んな人が撮った写真が見られるんですが、大体皆さんメッチャ上手というか、古強者というか、ちゃんとやってますね。キレイな写真ばかりです。
特に近年はスマホのカメラの性能がメチャいいし、多少の手間で結構きれいな加工も出来ちゃったりするので、写真投稿・共有専門サイトみたいな所には、むしろちゃんとカメラを趣味にしたい、という人が集まるのかもしれません。

あと個人的に思うのは、Photoshopなどによる写真加工技術、Clip studioなどによるCGイラスト制作ソフトが年々目覚ましい進化を遂げてまして、しかも「出来ることが増える」だけじゃなく「操作性の向上」も追随していて、噛み砕いて言うと「キレイな写真加工・イラスト制作が割と簡単に出来る」様になってきている様に見えまして。

それで何が起きるかというと、絵を描く人は写真の様な美しさを目指し、写真を撮る人は絵画の様な美しさを目指す、という様な傾向が、主流とは思いませんが、微かにその流れが市民権を得つつある様に思います。前者はずっと昔からある程度存在する傾向ですが。(もっと言うと、おそらく古来より絵画が最終的に目指すポイントの一つには”目に見える世界をそのまま描く”というのがあって、写真ですら到達の難しい次元なのだと思うのですが。人間の眼と脳が優秀かつどんぶり勘定過ぎてレンズとセンサーだけでは再現しきれないのだそうです)

絵画やイラスト、デザインなどは元来より流行に強く左右される分野ですし、変化はあっても進化というのは難しいかもしれません、人類の最先端の技術は未だ油絵であるそうですし。
ただ写真撮影に関してはアプリケーションが発達すればするほど、その在り方も変容しやすい時代になってきてるのかなーって感じがします。

だれでもそこそこキレイな写真を撮れるようになってインスタグラムが流行っている様に。フィルムカメラが再び流行るような事も実際ありうるんじゃないかな、なんて事も思います。インクジェットやレーザープリンタなどの印刷では表現しきれない、またPCやスマホでは表示しきれない美しさが、現像された写真にはあると思うからです。

なんだか楽しそうな界隈ではあるなーと思いますし、うっすらと興味を持っていたい感じです。というわけで、気が向いたら写真もアップロードしてみたりしたいですね。